川井書生の見聞録

映画評論、旅行記、週刊「人生の記録」を中心に書いています。

アメリカのフロリダには南国も夢の国も宇宙もあった(書生の旅行記1)

初めてのアメリカ旅行はフロリダでした。英語が通じるか?治安が大丈夫か?等々、とても不安でした。ですが・・・ディズニーワールド、ケネディ宇宙センター、マイアミ、エバーグレーズ国立公園、そしてセブンマイル・ブリッジを渡ってキーウエスト。全てが最高でした!

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セブンマイル・ブリッジ

いざ、フロリダ留学中の妹に会いに行こう!

こんにゃくゼリー機内持ち込み未遂事件

今回の旅のきっかけは母親の一言「妹に会いに行こうよ」。妹は当時フロリダに留学しており、母親は寂しかったのでしょう。しかし、父親は「そんなお金はない」と乗り気ではありませんでした。けれども、僕が親孝行として航空券代を払うことを決意。我が家のフロリダ行きは決定したのでした。

さあ準備をしましょうということでしたが、旅行代理店に頼んで楽しようとする母親・僕と少しでも節約をしたい父親側で意見が対立し、我が家のお茶の間は膠着状態に。航空券、現地のレンタカー、ホテルの予約をバタバタで間に合わせ成田空港へ向かいました。

成田空港に到着するなり母親のマイペースが炸裂!印刷して持ってこなければならなかったホテルやレンタカーの予約確認書を忘れてしまったようです。空港のコンビニでなんとか印刷できましたので良かった・・・。

そんなこんなでフライトのチェックインも行い、手荷物検査を受けようとなった時、母親がウイダーを飲んでいました。僕は「それ、捨てなきゃダメだよ」と指摘すると、母親は「えっ、これダメなの?」とびっくり。ゼリーはダメなんだよと僕が言うと、母親は「じゃあ、これも?」とバッグから大きなこんにゃくゼリーの袋を取り出しました。

 僕が頷くと母親は悲しい顔をしながら新品のこんにゃくゼリーりんご味1袋をゴミ箱に捨てました。父親が「じゃ、行こう」と言い検査場に進もうとしましたが、母親は再びバッグの中に手を突っ込みました。そこから出てきたのはこんにゃくゼリー白桃味。母親は飛行機内でこんにゃくゼリーを2袋も食べようと思っていたのです。

 手荷物検査後、母親はスカスカになった自分のバッグに大量のお菓子を投入。お菓子や機内食を食べながら『コンフィデンスマンJP』『トイストーリー4』『キングダム』を観たようです。

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左)夕食。この後にデザートが出ました。 右)日本とは違うチキンライス。

 アメリカの洗礼

夕方に成田空港を出発した飛行機は、同じ日の夕方にニューヨーク近くのニューアーク国際空港に着陸。早速、我々はアメリカの洗礼を受けました。税関申告書を書けなかったのです。そう、僕たちはこんにゃくゼリーを沢山持ってきましたが、ペンを1本も持ってこなかったのです。

入国審査場の近くに記入台がありましたが、ボールペンがどこにも置いておらず、僕は『地球の歩き方』を開きながら、拙い英語で空港職員のお姉さんにボールペン貸して下さいと言いました。すると、お姉さんは「イエー」と言うものの、ボールペンを一向に貸してくれない。

これでは地球を歩くどころかニューアーク国際空港も歩けないと思った僕は、入国審査の列から日本人を探しました。「あの人はジャパニーズかな?」「あっでもパスポートが日本国じゃない」「あの人はどうかな?」「あっ、いた!」僕はその方にボールペンを貸していただき・・・何とかアメリカに入国。

その後、ニューアーク国際空港からオーランド国際空港へ着いた時には深夜でした。アメリカの空港は広大で、飛行機に降りたら電車に乗ってターミナルへ移動しました。ターミナルに着くと見覚えのある黒いリュックを抱えた、見覚えのある日本人がソファにちょこんと座っていました。

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オーランド国際空港:クリスマスシーズン仕様でした。

母親は妹の名前を叫びました。一瞬ビクッとしたその人物がこちらを向く。元気そうで何より。母親と妹が互いに「太ったでしょ」と言い合う中、父親も遠くからニコニコ。3ヶ月ぶりに我が家のメンバーが揃いました。

空港からホテルまでの移動。アメリカ新参者の3人はタクシーを使おうとしますが、アメリカ初心者を卒業した妹は「タクシーは高いよ」と。今の時代Uberのようです。妹がUberで車を呼ぶと日産の車が登場。オーランドはトヨタや日産といった日本車も多かったです。

ホテルに着くと夕食もとらずに一家は就寝。翌朝、朝食でアメリカ料理というものに初めて触れました。おそらくアメリカ定番の朝食だと思いますが、スクランブルエッグ、トースト、ぱっさぱさのベーコン(意外に美味しい)、日本のマクドナルドのハンバーガーに挟まれているお肉のようなものを食べました。基本的に美味しかったです。

しかし、ここでアメリカ料理の洗礼を受けてしまいました。僕は「この料理ハリウッド映画で見たことある」という安易な理由でその料理を口にしてしまったのです。その料理はそのまま食べると、味のしないお粥をさらに薄めたような味で、トッピングをかけるとスイーツのように甘い・・・僕はオートミールが苦手なようです。

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オーランドで泊まったホテル「コートヤード オーランド レイクブエナビスタ アット ビスタセンター」。

ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート

マジックキングダム・パーク ー魔法の王国ー

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Magic Kingdom Park

ホテルで朝食をとった後、我々はシャトルバスでウォルト・ディズニー・ワールド(WDW)へ。オーランド周辺のホテルには、ディズニーワールドやユニバーサルスタジオへの無料シャトルバスが実施されているところも多いです。

この日は12月24日ということもあり、シャトルバスも大混雑。アメリカの高校生、インドの大家族、南米のカップル、中国の家族、ヨーロッパの夫婦など、実に様々な人たちが乗車していました。

WDWには4つのテーマパーク(動物がテーマのディズニー・アニマルキングダム、映画がテーマのディズニー・ハリウッド・スタジオ、世界各国がテーマのエプコット、日本のディズニーランドのようなマジックキングダム・パーク)を中心に、2つのウォーターパークと2つのショッピングモールがあります。我々はこの日、マジックキングダムに行きました。

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左)チケット売場から園内へはフェリーで移動。 右)園内はクリスマスムード。

マジックキングダムは日本のディズニーランドのようなテーマパークで、馴染みのあるアトラクションが数多くあり、ホーンテッドマンション、ビックサンダー・マウンテン、カリブの海賊、バズライトイヤーのスペースレンジャー・スピンなどを楽しみました。

バズライトイヤーは日本と同様に、レーザー銃で的を狙って撃つアトラクションなのですが、そこで母親が才能を発揮。クリント・イーストウッドやジョン・ウェインばりの射撃の腕前を見せ、他3人とは圧倒的な得点をたたき出していました。

ヘトヘトになってホテルに戻ってきた我らが家族は、3日ぶりにお風呂に入りました。シャワーカーテンを閉めて、シャワーを手に取ろうとしたのですが、アメリカのシャワーは動かせない仕様。自分が動いて頭を濡らして頭と体を洗いました。

さて、体についた石鹸を洗い流そうとしたら、中々ぬるぬるが取れません。最初はしぶといなと思い、ぬるぬると戦っていたのですが、体をこすってもこすっても相変わらずぬるぬる〜ぬるぬる〜としてしまい、僕は戦意を喪失。ぬるぬるなままお風呂を出ました。

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左)アメリカのシャワーは取り外せない。 右)オートミールとの出会いの場

ディズニー・ハリウッド・スタジオ ーフォースの帝国ー

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Disney's Hollywood Studios

12月25日。僕は昨日と同じようにスクランブルエッグ、トースト、ベーコン(オートミールは避けた)を食べ、オレンジジュースを飲んでから、Uberでディズニーワールドへ向かいました。今日のドライバーはトヨタに乗るラテン人で、不況によりスペインの店をたたまざるを得なくなり、アメリカにやってきたそうです。

それにしてもこの日は、昨日と比べてもディズニーへ向かう車の量が多く、クリスマスは混むという噂通りでした。園内も人がごった返しており、主要なアトラクションはどれも120分など長い待ち時間でした。

ハリウッド・スタジオのシンボルはチャイニーズ・シアター。シド・グローマンが1927年に作ったハリウッドの劇場がモデルとなっているようです。そのシアターの手前のセットで『スター・ウォーズ』のショーが行われたりしていました。

僕たちはチャイニーズ・シアターを左に抜け、『レイダース』などのアトラクションエリアを通り過ぎ、トンネルに入りました。そのトンネルを抜けると、雪国でもなく、両親が豚になる世界でもなく、『スター・ウォーズ』の世界が広がっていました。

スター・ウォーズ:ギャラクシーズ・エッジには、レジスタンスやファースト・オーダーの宇宙船、劇中に出てきた惑星の街並み、そしてミレニアム・ファルコンが再現されていて、みんなカシャカシャと沢山の写真を撮っていました。中でも人気だったのがストーム・トゥルーパー。彼らはエリア内を闊歩しているのですが、観光客にいじられたり、ゴミ箱に躓いたりで、注目を浴びていました。しかし彼らはプライドが高くそれを認めません。子供がサインを求めても「get out!」と追い払います。

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スター・ウォーズ:ギャラクシーエッジ

ここでは、ミレニアム・ファルコンのクルーとして宇宙を駆け回る「スマグラーズ・ラン」を体験しました。6人1組でそれぞれ2名ずつ、パイロット、ガンナー、エンジニアになるのですが、父と妹がパイロット、僕と母がガンナー、エンジニアは知らない南米系の外国人でした。

さあ、宇宙船が発進して早速、ゴツンと機体をぶつけたパイロットたち。先が思いやられます。その後も順調に機体をぶつけ続け、エンジニアたちは恐らく大忙しだったでしょう。とんだブラックな職場に配属されてしまったと。

そんなフラフラなファルコン号に敵が襲いかかってきました。いよいよ我々ガンナーの出番です。僕は左担当、母は右担当でした。しかし、レーザーが左からしか出ていません。あれ?と思った僕は母の方を見てみると、母は楽しそうに一生懸命に何かを連打しています。けれどもそこはボタンじゃない!

ボロボロのフラフラになりながらも何とかミッションを達成した僕たち。お腹が減ったので昼食タイムに。園内の「ハリウッド・ブラウン・ダービー」というレストランで食べることにしました。

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「ハリウッド・ブラウン・ダービー」。肉もマッシュポテトもとろけた。

往年のハリウッドのレストランを表現した店内は、上品な雰囲気で、1940年代、50年代のハリウッドにタイムトラベルしたかのようでした。料理はセレブ価格で高価なものの、とても美味しい!特にステーキはとても柔らかく、日本のスーパーで買った安いお肉にありがちな「噛みきれない」とか「固い」とかは一切無しでした。そのステーキの下に敷かれていたマッシュポテトも信じられないくらい柔らかくて甘かったです。大してグルメではないのに、僕は「これが本場のステーキとマッシュポテトか!」と舌鼓を打ちました。

僕たちは2日間、ディズニー・ワールドを満喫し、飛行機で南へ。マイアミに到着しました。

マイアミとエバーグレーズ国立公園

マイアミ ーフロリダ随一の大都市ー

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Miami

12月26日。マイアミ国際空港に到着後、僕たちはレンタカーを借りに行きました。しかし、僕たちアメリカ初心者はレンタカーを借りるのにも大苦戦。まず、日本でいうETCカードのアメリカ版の仕組みが理解できず……。アメリカのETCは何種類かあるっぽく、僕たちはSun Passというものしました。また、アメリカのレンタカー会社は会社側から車を持ってくるのではなく、借りる側が駐車場を歩いて、選んだクラスの車の中からチョイスする流れでした。僕たちはてっきり店員が車を持ってくるのだと思っており、ずっと店の前で待ってしまっていました。

そのことに気づいて、何とかGMのSUVを借り、一同は空港近くの「ホリデイ・イン・エクスプレス・マイアミ・インンターナショナル・エアポート」というホテルに向かいました。ですが、アメリカの交通ルールに慣れていない父親は、交差点を左折したらそのまま左車線を逆走してしまい、あわや大惨事でした。

マイアミのホテルはまるで高級ホテルのようなバスルームで、鏡が巨大でした。僕たちはホテルで少しくつろいだ後、夕食をとりにマイアミへ出かけました。

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左)大きな鏡が高級感を漂わせる。 右)緑のキャップのオレンジジュースが美味しかった。

マイアミ空港から東へ車を走らせると、グラセフでお馴染みの橋が見えてきました。橋をひとつ渡り、小さな島を横断し、橋をもうひとつ渡ると、見たことのあるマイアミが視界に入ってきました。

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僕たちは真っ先に、マイアミで最も有名な「アールデコ地区」に足を運びました。海沿いを走る銀色のオープンカー、パステルカラーの建物、エメラルドの海と白い砂浜、そしてはしゃぐ陽気な若者たち。色彩豊かなアメリカの南国マイアミは、我々の知る通りの場所でした。ノリも南国系で、僕がカメラを向けるとピースをしてくれた人たちも多数。綺麗なお姉さん、カッコ良いお兄さんもいっぱいいました。

日が沈み、マイアミは夜の顔を見せてくれました。真っ暗な中に輝くネオン、ネオン、ネオン!それは東京の大都会のネオンとは違い、綺麗なネオン街。大音量で流れるクラブ音楽と華やかな色のカクテルに若者たちは夢中になっていました。

僕たちはキャッチのお兄さんに誘われ、「カフェ・ミラノ」というイタリアン・レストランに入りました。僕は正直なところ、マイアミに縁の深いキューバ料理などを食べてみたかったのですが、料理が運ばれてきた瞬間、そんな思いは吹き飛ばされました。フライドポテトやスパゲッティも勿論美味しかったのですが、とりわけ美味しかったのは、僕が注文したラザニアと妹が注文したリゾット。これが1000円ちょっとか?と思いました。

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左)僕が注文したラザニア。 右)妹が注文したリゾット。

僕たちはお腹いっぱいでアールデコ地区を後にしました。帰り道、橋をひとつ渡ると大都会マイアミが姿を露わにしました。超高層ビルやマンションが連なる摩天楼は、晴海大橋から見た東京の夜景を想起させました。さらに橋をもうひとつ渡り、有料道路を走っていると、左手にかつてイチロー選手が在籍していた「マイアミ・マーリンズ」のスタジアムが静かに現れました。12月26日ですから、勿論オフシーズンなのでしょう。人気を全く感じませんでした。ホテルに着いた僕たちは満足して、明日のエバーグレーズに備えました。

エバーグレーズ国立公園 ーフロリダ唯一の世界遺産ー

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Everglades National Park

12月27日。レンタカーでマイアミからさらに南下し、フロリダ唯一の世界遺産であるエバーグレーズ国立公園へ。途中、5つも車線のある有料道路に翻弄されつつも、車窓から見える景色はマイアミのビル群から、青い芝の生えた高級住宅街、そして地平線が見渡せる広大な畑へと変わっていきました。日本では中々お目にかかれない地平線を左右に捉えながら、大湿地帯へやってきました。

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左)フロリダでの愛車GM号。 右)エバーグレーズ国立公園の入口。

エバーグレーズの正体は、水深がたった15cm、幅がなんと150kmという川だそうです。この湿地帯は関東平野よりも広く、僕たちは日帰りでこの地を観光しようとしているのです。エバーグレーズの最終目的地は「フラミンゴ」。ここでカヌーやカヤックをするのが本日のメインイベントです。僕たちは早速、ビジター・センターを後にし、「フラミンゴ」への一本道を駆けました。

時速80マイル(時速130キロ弱)の制限速度で一本道を走って行くと、途中途中、立ち寄りポイントがやってきました。僕たちは「ロイヤルパーム」「パハヨキー展望台」「マホガニーハンモック」などに寄り道しました。「ロイヤルパーム」ではワニや鳥が見ることができ(かなり至近距離で!)、「パハヨキー展望台」では果てしなく続く草原を、「マホガニーハンモック」では樹木を見ることができました。

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寄り道していたら、「フラミンゴ」に着いたのは昼過ぎになってしまいました。この日が年末ということもあり、カヌーやカヤックは激混みで乗れず……。せめてここで昼食でもとろうと「フラミンゴ」唯一のハンバーガー屋で注文しましたが、ここも行列。しばらく順番が来なさそうなので、周辺を散策していました。

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左)フラミンゴ 右)乗れなかったカヌー。楽しそうだった・・・

「フラミンゴ」は大きな公園のような場所で、クルーザーが停留できるような桟橋、アウトドアを楽しめるような芝生地帯、巨大な駐車場などから成っていました。芝生では観光客が家族連れが寝転がっていたり、カップルがイチャイチャしていたりしました。駐車場ではマイ・クルーザーを整備したり、遊び道具を取り出したりしている人たちがチラホラ。僕たちは桟橋の方へ向かいました。

僕たちが桟橋に近づくと、先にそこを陣取っていた鳥たちはバサバサと人間を避けて飛び去っていきました。妹は鳥がさっきまでいた場所で自撮りをしています。すると彼女は何かに気付いたかのように、水面を凝視しています。僕たちも妹に追いつき、目線をなぞると、そこにはマナティがいるではありませんですか。

マナティは顔だけを出していましたが、すぐに水面に隠れてしまいました。ですが、その後すぐに顔を上げてきました。意外に呼吸が続かないんですかね。

食い入るように水面を見つめていた僕たちに、中東系の観光客が近付いてきました。彼は「何を見ているの?」と僕たちに聞こうとしていたのかもしれませんが、それよりも早く、彼もマナティの存在に気付きました。彼はマナティを発見すると直ちに友人を呼びにやりましたが、友人が来た頃にはマナティは姿を消してしまい……。マナティがいた・いないの論争を繰り広げていました。

マナティのおかげで時間を潰せた僕たちはハンバーガー屋に戻りました。しかし、まだ僕たちが並ぶ前にいた人が待っている様子。まだまだハンバーガーへの道のりは遠いようです。でも、アメリカ人たちは時間に寛容で、ハンバーガー屋の店員が「遅くなってすみません」と謝っても、「そんなことないわ、グッジョブ」と、店員を励ますではありませんか。長時間待ってもイライラしないのはすごいなあと思いました。

ちなみにハンバーガーは待った甲斐もある美味しさでした(グルメリポートなかなか上手になれない...)。

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左)マナティ 右)念願のハンバーガー

地平線へと沈んでいく夕日を片目に、僕たちはエバーグレーズを後にしました。本日の夕食もマイアミです。また「カフェ・ミラノ」でいいんじゃないかという意見もありましたが、せっかくなので今日は別の店にという方向になりました。この日はリンカーンロードにある「TAPELIA」というスペイン料理屋でした。

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左)TAPELIAのテラス席 右)最高だったパエリア

ここも「カフェ・ミラノ」に勝るとも劣らない美味しさで、特にパエリアがたまらなかったです。魚介類のエキスが染み込んだライス、プリプリの海老。そういえば昨日も海老を食べたような気がするなあ。

翌日はいよいよ、僕が最も行きたかったキーウエストです!

アメリカの果てと地球の果て

キーウエスト ーアメリカ本州最南端の島ー

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Key West

12月28日。僕たちは車を南へ南へ進めていき、遂に国道1号線の一本道になりました。右手に広がっていたエバーグレーズの大湿地帯がメキシコ湾の海に変わり、一本道は右へ右へと永遠と続いていました。国道1号線の終点まで、残りおよそ110マイル(約180キロ=東京駅から静岡駅くらい)。一本道なので、GWの伊豆のように大渋滞でした。

それでも僕がキーウエストに行きたかったのは、大好きな作家アーネスト・ヘミングウェイが暮らしていたからです。僕はアメリカに行く前と行きの飛行機の中で、彼の「海流のなかの島々」を読んでいました。話の舞台はメキシコ湾の島々であり、そこに描かれた情景を見てみたいと思っていたのです。

キーウエストまでの道程で一番初めに訪れることになるエリアは、キー・ラーゴ。かつてジョン・ヒューストンが監督した映画「キー・ラーゴ」の舞台です。ヒューストンは第二次世界大戦に従軍し、アリューシャン列島やイタリアで戦争をカメラで記録したジャーナリストでもあります。第一次世界大戦やスペイン内戦を、この目で見ようと戦場に赴いたヘミングウェイに通じるものがありますね。冒険家のような作家や映画監督に、フロリダキーズは魅力的に見えるのでしょうか。

キーウエストとキー・ラーゴの中間あたりに来ると、セブンマイル・ブリッジに差し掛かりました。青空のように美しい海に伸びる一筋の白い橋は、まるで天国へと続いているかのようでした。橋の横を電柱が規則正しく並んでいる光景も果てしない奥行きを伝えてくれました。

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Seven-Mile Bridge

セブンマイルブリッジ周辺では、釣りを楽しんでいる人もいれば、ドローン撮影に挑戦している人、ジェットスキーに興じる人もいて、皆が皆レジャーを楽しんでいる様子でした。また、フロリダキーズには南国チックな生き物もちらほら見かけました。下の写真の爬虫類は枕くらいの大きさがあり、モンハンの小型生物くらいにはなれそうです。彼の顔の目の前で手を振ってみても、当の本人は全く意に介さないようで、微動だにしませんでした。

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左)フロリダキーズにいた巨大爬虫類 右)キーウエストには野生の鶏が沢山いました

セブンマイルブリッジを超え、最後のエリアとなるビッグ・パイン・キーを抜けると、いよいよキーウエストが見えてきました。ひたすら進んできた国道1号線は左右に分かれ、遂に我々は国道1号線の基点まで来ました。

その周辺でGMのSUVを駐車し、いざ、ヘミングウェイの家へ。彼の家は実に盛況でしたが、行っておいて良かったです。ヘミングウェイ自身の紹介はもちろんのこと、「誰がために鐘は鳴る」の映画ポスター、ヘミングウェイとハリウッドの大スターであるゲーリー・クーパーの写真、ヘミングウェイとハリウッドの大女優であるマレーネ・ディートリヒの写真、ヘミングウェイが使用したタイプライターなどが飾ってあったりして、資料も充実していました。また猫好きなヘミングウェイが飼っていた多指症の猫の子孫があちらこちらに生息していました。

1928年、ヘミングウェイはパリからキーウエストに生活の場を移しました。それは、かつての妻であるハドリーを忘れるとともに、新しい妻であるポーリーンとの新しい生活を送る決意の表れだったのかもしれません。このホワイトヘッド・ストリート907番地にコロニアル風の屋敷を購入したのは1931年でした。ここで過ごしたヘミングウェイのキーウエスト時代は、1940年にポーリーンと離婚し、キューバに拠点を移すまで続きました。

かつてのヘミングウェイやポーリーンが使っていたであろう階段や浴室、プール、寝室、離れの仕事部屋を見学していると、「ああ、ここでヘミングウェイは生きていたんだなあ」と、2019年を生きる自分と100年近く前を生きたヘミングウェイとの繋がりを感じ、感傷に浸ってしまいました。このように、違う年代を生きた人物と同じ場所に立って、ロマンを感じることがとても好きなのです。

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左)ヘミングウェイの家 右)ヘミングウェイが飼っていた猫の子孫

その後、灯台博物館の灯台に上り、キーウエストを一望しました。この島を地上から見ると道路やコロニアル風の建物が整然と並んでおり、観光の街という印象がありますが、この島を灯台から俯瞰して見ると緑が多く感じました。南国の木々より背の高い建物がほとんどないようです。しかしながら、1つだけ木々より高く、存在感のある建造物がありました。それは港に停泊していた豪華客船です。その船はこの田舎には不釣合いの高層ビル建築のようで、明らかに外の世界から来たものに見えました。

僕たちは灯台を下り、付近をぷらぷらと散歩し、GMに再び乗り、キーウエストの東端にあるリゾートホテルに向かいました。流石にリゾート地のホテルだけあって、トイレとトイレットペーパーの距離が遠い以外は最高でした。プールもついていて、日没後も水遊びが楽しめます。

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左)灯台から見えた巨大客船 右)ホテル「フェアフィールド・イン&スイート・キーウエスト・アット・ザ・キーズ・コレクション」のプール

キーウエストの東端にあるこのホテルから、オールドタウンと呼ばれる観光名所が集まる島の西側のエリアまで、送迎バスがありました。僕たちはピンクとブルーに塗装された陽気なバスに乗りました。

陽気なのはバスだけではなく運転手も他の乗客も陽気でした。スキンヘッドの一見イカツイ運転手は、バスを発進させるなり、車内の照明をほとんど真っ暗にし、ニール・ダイアモンドの「Sweet Caroline」を大音量で流しました。これはジョン・F・ケネディ大統領とジャクリーン・ケネディ・オアシスの間に生まれた長女キャロライン・ケネディを歌った曲です。下のYouTubeで曲を聴いてくれると嬉しいです。


Neil Diamond - Sweet Caroline High Quality neildiamond

「Sweet Caroline〜、パッ、パッ、パ〜、Good times never seemed so good」というサビ部分、運転手はこの「パッ、パッ、パッ〜」という音に合わせて車内の照明をフラッシュして、乗客のテンションを上げにかかって来ました。乗客は乗客で「Good times never seemed so good(so good)(so good)」と合いの手を入れ始め、いつの間にか大合唱になっていました。

とりわけ、すでに酔っ払っている大柄の白人男性(しかも野球帽を被っているというイメージ通りのアメリカ人)の気分が最高潮になり、「I love Journey!」「I love Journey!」とバスの最後席から叫び、バスの一番前にいる運転手が「OK!」とそれに応えました。そして流れた曲は「Separate Ways」という、WBCで日本人にはお馴染みの曲が流れました。

バスは夜のマロリースクエアに到着しました。広場周辺はレストランが多くあり、店内でアコースティックギターを弾いている人、熱唱している人、曲に合わせてリズミカルに身体を動かしている人など夜も活気に溢れていました。

僕たちはこのエリアにある「コモドールズ・ボートハウス・バー&グリル」というお店で食べることにしました。ラテン系のウエイトレスにテラス席に案内されました。テラスからは他のレストランや停泊しているクルーザーが沢山見えました。肉汁が染み込んだサラダ、ピラフ、シュリンプ、ステーキ、どれも美味しかったです。

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左)コモドールズ・ボートハウス・バー&グリル 右)夕食のプレート

さて、キーウエストの話がだいぶ長くなってしまったので、そろそろこの章を終わらせることにします。ですが、最後に1つだけ。ヘミングウェイの小説によく出てくるキーライムという果物が、気になって気になってしょうがなかったので、お土産屋でずっと探していました。けれども、なかなかキーライム自体は見つからず。。。代わりにキーライム・コーヒーをお土産に買いました。帰国後、それを飲んでみたのですが、「意外にスパイシーで美味しい」と会社で評判になりました。そのキーライム・コーヒーが入っていた袋は、ヘミングウェイの家で購入したボールペンと一緒に大切に保管しています。

ケネディ宇宙センター ーWe choose go to the moonー

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Kennedy Space Center

キーウエストを楽しむにはあまりにも時間が足りず、後ろ髪が引かれる思いでアメリカ最南端の島を後にしました。僕たちはオーランドへ戻り、一回目のオーランドとは別のホテルに泊まりました。しかしそのホテルは最悪でした。ホテルは内装工事を進めていたようなのですが、僕たちが泊まった部屋は内装工事をする直前の部屋で、ちょうど隣の部屋まで内装工事が行われていました。なので、部屋の中は汚く、ベッドのシーツは湿っていて、電源のコンセントは飛び出し、部屋のカーテンはちゃんと締めきれず、しかもそのカーテンの向こう側は喫煙所担っていて外国人の話し声がうるさく、シャワーカーテンはボロボロでした。部屋を変えてもらうようフロントに申し出ましたが、受け付けられず...。

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左)外観は綺麗だが 右)内観はくたくた

その12月29日の夜は、ホテルの近くにある「オーランド・インターナショナル・プレミアム・アウトレット」に出かけました。母親と妹は「ビクトリア・シークレットは日本にはないの!」と真っ先にそこへ向かいました。僕と父親は日本でよく見かけるラルフローレンを見に行きました。「安い」と思ったシャツがあったので、一番小さいサイズの服を、鏡の前で自分に合わせてみましたが、めちゃくちゃデカかったです。身長160cmしかない僕は、アメリカでは着れるサイズの服がないのかもしれません。

そのアウトレットモールにある「Vinito」というイタリアンレストランで夕食をとることにしました。そこではサーモンのプレートを注文しました。ここで食べるサーモンは、日本の弁当に入っている焼き鮭の固い食感はなく、とても柔らかくて食べやすかったです。

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左)Vinito店内 右)Vinitoメニュー

12月30日。ジメジメと湿ったベッドで一晩を明かし、僕たちはUberに乗って、ケネディ宇宙センターに向かいました。今日の運転手はアメ車に乗ったアメリカ人。かつて東京に3週間ほど滞在したことがあるそうです。東京ドームで野球を観戦したり、浅草を観光したり、色々と楽しい思い出を作れたそうです。

ケネディ宇宙センターの入口には、NASAの有名なあのシンボルがありました(下画像)。このシンボルの横には、この施設が建てられる契機となったケネディ大統領の有名なスピーチが壁に書かれていました。

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ケネディ宇宙センターがNASAの施設である証拠

晦日ということもあり、非常に混雑しておりました。ディスニーランドと同じくらい人が溢れていました。なので、僕たちはエバーグレーズでカヌーに乗れなかった反省を活かして、早速ケネディ宇宙センター最大の目玉であるバスツアーに並びました。バスツアーでは、アポロ計画のサターンVロケットを組み立てたスペースシャトル組立棟などを遠目に見ながら、アポロ/サターンVセンターを最終目的地にツアーが進みました。最終目的地では、アポロ11号に搭乗したニール・アームストロング、マイケル・コリンズ、バズ・オルドリンが僕たちを迎えてくれました。

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アポロ11号のクルー。左からマイケル・コリンズ、ニール・アームストロング、バズ・オルドリン。

アポロ/サターンVセンターに入ると、まずは大きな部屋に入りました。そこでは、3つのスクリーンを使って、アポロ計画の経緯を綴った映像が流れました。それは1961年にソ連のコスモノート(宇宙飛行士)であるユーリイ・ガガーリンがボストーク1号に搭乗し、人類史上初めて宇宙に行った人間になり、冷戦下の宇宙開発競争においてソ連が一歩リードしたシーンから始まりました。そして、アメリカ合衆国の危機を感じた当時のアメリカ大統領ジョン・F・ケネディがアポロ計画がスタートします。しかし、まるでジュール・ヴェルヌの小説かのように壮大な計画は、幾つもの困難が立ちはだかりました。その1つはアポロ1号における演習中の発射台上での火災事故で、3名のアストロノート(宇宙飛行士)が亡くなってしまいました。映像ではそのような犠牲のなか、いよいよアポロ11号が月に行くというところで終わります。

次はアポロ11号が月面着陸するまでを、管制室を模した部屋で上映します。こちらも3つのスクリーンを使用していて、管制室で働く多くのスタッフの映像などが流れました。アポロ11号が発射した際の振動が管制室に届き、グラグラと揺れる模様まで再現されていました。

この2つの映像を見終わると、いよいよアポロ計画で使われたサターンVロケットとの対面です。本物が間近にあると流石に大迫力です。長さは110m以上になるそうです。これが縦になって空を飛ぶとなると、想像しただけで鳥肌が立ちます。

ここには、ロケット以外にも様々なものが展示されており、アームストロングの月面着陸を報道した世界各国の新聞がずらりと並んでいたり、本物の月の石に触れたり、月面を移動するのに使われたローバーや宇宙服を見ることができたりしました。

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左)サターンVロケット 右)当時の毎日新聞

他にも、月面着陸の瞬間を再現したシアターがあったり、アポロ計画に使用された時計、手袋、はたまたチェックリストなど様々な展示品が、当時の一大事業の記念として残されていました。

僕たちはアポロ/サターンVセンターを後にして、宇宙センターもう一つの目玉、スペースシャトルを見に行きました。スペースシャトルが展示されている建物の入口には巨大なロケットがあり、これから対面するスペースシャトル「アトランティス」のスケールの大きさを予感させました。

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巨大なロケットがアトランティスのスケールの大きさを予感させる。

スペースシャトルにまつわる上映が終了すると、いよいよ「アトランティス」と対面です。まるでパンダのように白黒に塗られた顔は、どこか親しみやすいと同時に、パンダとは比べものにならない程巨大な姿は、畏敬の念すら覚えました。「アトランティス」をつぶさに観察していると、意外とボロボロで、至る所で継ぎ接ぎをしているのが分かります。よくこんな機体で大気圏に何度も突入できたなあと思いました。

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左)アトランティス 右)飛行機とは違ってツルツルした表面ではないようです

階下に降りると様々な展示がありました。アトランティスと建物の入口にあったロケットが合体している展示もあり、あれはアトランティスを宇宙に運ぶものだったのかと再確認。他にも宇宙のトイレやベッド、ダイニングにランニングマシンなども置かれていて、宇宙飛行士の生活を垣間見ることができます。

また、エンタープライズ、コロンビア、チャレンジャー、ディスカバリー、アトランティス、エンデヴァーという歴代のスペースシャトルに搭乗し、殉職した宇宙飛行士たちが追悼されているコーナーもありました。その中の1人に僕は目を奪われました。

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左)アトランティスの発射風景 右)ロナルド・マクネイア

ロナルド・マクネイアという宇宙飛行士は、空手は黒帯で、日本刀を所持していたそうで、きっと大変な親日家だったのでしょう。チャレンジャーに搭乗していた時には、サクソフォンを演奏していたそうで、きっと文武両道の秀才だったのだろうと伺えます。

ロナルド・アーヴィン・マクネイアは、1950年にサウスカロライナ州に生まれ、1976年にはマサチューセッツ工科大学から物理学の博士号を取得。1978年NASAへの数万通の応募から候補生に選ばれ、チャレンジャー号に搭乗する宇宙飛行士になりました。しかしながら、1986年、チャレンジャー号の爆発事故で帰らぬ人になりました。マクネイアは、星座になった古代ギリシアの英雄たちのように、月のクレーターの名前になりました。

Sweet Florida

アトランティスが展示されている建物から出た時には、すでに空は宇宙のように暗くなっていました。僕たちはUberに乗り、この旅行最後の夕食をどこで食べるか探していました。結果、ホテルの近くにある「フィッシュ・オン・ファイア」に決めました。

ここは、この旅行中に行ったレストランの中で最もアメリカらしいレストランでした。フライドポテトにステーキ、シュリンプといったメニューのラインナップもそうなのですが、店内ゲームに興じる客がいたからです。ウエイトレスもティーンエイジのアメリカ人女性で移民ではなさそうでした。

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左)ゲームに興じるアメリカ人 中)注文した料理 右)キーライムパイ

店内は、日本で言うところの「レッドロブスター」のような雰囲気で、行ったばかりのキーウエストを彷彿とさせました。テレビではキーウエストのレストランと同じく、アメフトの試合が流れていて、デジャブかと思いました。しかし、キーウエストでは食べる機会の無かったキーライムパイがここにはありました。キーウエストでは見つからなかったのに(笑)。

フロリダ留学中の妹とは翌12月31日に別れ、僕と両親はシカゴ経由で国際線に搭乗。 手荷物検査後、母親はスカスカになった自分のバッグに大量のお菓子を投入。お菓子や機内食を食べながら、また『トイストーリー』を観たようです。僕たちは機内で2020年を迎え、成田空港に着陸しました。

父親は車を右側通行せずに、慣れた手つきでホンダのフィットを運転していました。交通標識も見慣れたものばかりで、聞こえてくるラジオの言葉も聞き慣れたものばかり。安心感に満たされると同時に、一気に現実に引き戻されました。フロリダ旅行が形となって残っているのは、写真とお土産だけです。

せっかくの海外旅行ということで、色んなお土産を買いました。オーランド、マイアミ、キーウエストのご当地シャツ、ナンバープレート、スタバのマグカップ、ディズニーランド、ケネディ宇宙センター、エバーグレーズ国立公園などのポストカード、キーライムコーヒー、キーライムキャンディ、そしてヘミングウェイの家で購入したボールペンが残っています。

 キーウエストは時間が足りなかったな...と家族の誰もが思っていました。マリンスポーツやパラセーリングもできなかったし、マロリースクエアも回りきれず、難破船博物館やリトル・ホワイトハウス、テネシー・ウィリアムズ博物館、オーデュボンの家、フォート・ザッカリー・テイラー州立公園も行けず、キーウエストの料理も食い足りませんでした。今度行く機会があれば、ドライトートゥガス国立公園にも行きたい...。さすが、ヘミングウェイの愛した島ですね。

 2020年2月末、妹がフロリダから帰国しました。

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 次の旅行記は中国の上海。

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