川井書生の見聞録

映画評論、旅行記、週刊「人生の記録」を中心に書いています。

本州最東端の街・千葉県銚子へ(書生の旅行記6)

 残り2枚の青春18切符をどうしたものか。。。1枚は大井川鉄道に使うとして、もう1枚はどこに使おう?こっちも鉄道に使用しようということで、銚子電鉄に乗った。本州最東端の街は港町で、東洋のドーバーと称される景勝地や本州で最も日の出が早く見られる灯台があった。これで残された青春18切符は1枚となった。

 

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犬吠崎灯台

銚子電鉄に乗って

 僕が住んでいる神奈川県の藤沢市から電車で3時間半。東海道線、横須賀線、総武線を乗り継いで辿り着いた本州最東端の地。総武線の終点たるJR銚子駅には、銚子電気鉄道の始点である銚子駅が肩を狭そうにして建っていた。

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銚子電鉄銚子駅

 そこには改札もなく、電車内にいる車掌から切符を購入する形式だった。先日乗車した大洗鹿島線のワンマン号と似た内装で、車内に運賃箱やバスにあるような運賃表が設置されていた。

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ワンマン号

 たった2両しかない電車だったが、乗客は思いの外多く(そのほとんどが観光客であった)、盛況の様子。電車はゆっくりと全長6.4kmの線路を進み始める。途中、地元のおじいさんやおばあさんが乗り降りしたり、学校帰りの高校生が降車した。駅の小さなプラットホームでは撮り鉄と思われる青年がカメラを向けていたり、サイクリング客かと思われる金髪のお兄さんが折り畳み自転車を抱えながら電車に乗ってきたりと、地元の人間にも、観光客にも利用されている路線なのだと気付かされた。

 僕は銚子から数えて7つ目の駅・君ヶ浜駅にて降車した。無人駅だったので、切符は運転手に渡すようだ。まるでバスのようだった。

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君ヶ浜駅

 ここで降りたのは僕だけで、他の観光客は、どうやら次の犬吠駅、その次の終点・外川駅まで向かうようだ。駅には改札すらなく、自動販売機とベンチがぽつねんと置かれているだけであった。夜に来たら、あたりは真っ暗闇のなか、自動販売機の光が怪しく光ているのが不気味に違いない。

 僕は肌に潮風を感じながら、その風がやって来る方へ歩き始めた。駅前には畑が広がり、これから作物を育てるのであろう、肥料の臭いがプンプンした。また、畑作業の途中なのだろうか、トラクターが畑に置かれていたり、スプリンクラーが畑を潤したりしていた。

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トラクターの左右で畑が綺麗に分かれている。

 畑の先には林があった。おそらく塩害を防ぐ防砂林なのであろう。この先には海があるから。僕は林の間に敷かれたアスファルトの道路を歩いてゆく。ミーンミーンと蝉の鳴き声がし、蜂などの小さな虫があたりを飛び交う。まるで人が住むところではないようだった。僕以外この道路を通る人も車もいなかった。「クモとヘビに注意」という看板が立てられていたからかもしれない。

犬吠崎灯台 ー本州最東端の灯台ー

世界の灯台100選の景色

 童話やジブリ映画に出て来るような林を抜けると、潮の匂いが一層強くなった。眼前には青い海が広がり、波の音が心地よく聞こえる。ここにある浜は君ヶ浜と呼ぶそうで、そこからは犬吠崎灯台がよく見えた。

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犬吠先灯台

 世界の灯台100選に選ばれているだけあって、確かに絵葉書にでもなりそうな景色だった。青天を鏡にして海も青く、緑は真夏を謳歌し、その上に塩のように真っ白な灯台が、ケーキの蝋燭のように立っていた。

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木下恵介監督の映画『喜びも悲しみも幾年月』に出てきそうな灯台だ。

犬吠崎の歴史

 灯台に到着するなり、灯台下にある資料館に足を入れた。この辺りの海は黒潮と親潮がぶつかる航海の難所であり、海が荒れた際の海鳴りが犬の遠吠えに聞こえたことから、犬吠崎と呼ばれるそうになったそうだ。だが、この「犬吠崎」という名称は別の説もあり、そちらも興味深い。

 例えば、アイヌ語で「突出した岬」という意味を持つ「エンボウ」が由来説。この説だと戦国時代などではなんと呼ばれていたのだろうか。もう1例はより興味深く、源義経が関係している。

 義経が藤原秀衡を頼って奥州を逃れる道すがら、頼朝の追っ手から逃げ延びるために寄った場所の1つが銚子といわれている。ここには「犬岩」と呼ばれる岩があり、義経が奥州に逃れる際、海岸に残された愛犬若丸が7日7晩鳴き続けて岩になったそう。その説によると、犬吠崎の地名はこの犬の鳴き声から来ているそうだ。

灯台の歴史

 灯台は海の標識として紀元前から存在していたそうで、最も古い灯台は世界七不思議でもあるエジプトのファロス灯台であるそうだ(紀元前279年)。日本では江戸時代に「灯明台」と呼ばれる日本式灯台が建てられるようになり、日本の航路標識事業が1歩を踏み出した。1608年には日野吉三郎という人物が能登国の福浦に、日本で初めて油の火を用いた灯明台を建てた。

 幕末になると、鎖国体制から開国へと向かう動きのなか、灯台の必要性が増していく。第14代将軍徳川家茂が交わした江戸条約には8基の灯台を設けることが条項に含まれており、イギリス人技術者のブラントンやフランス人技術者ヴェルニーが江戸に招かれた。こうして江戸幕府による灯台事業が始まるが、倒幕とともにその事業は明治政府に引き継がれる。そして、ヴェルニーにより、1869年(明治2年)1月1日、横須賀の観音崎に日本初の西洋式灯台が誕生し、1874年にブラントンが設計・監督をした犬吠崎灯台が完成した。

 このように明治以降は西洋式灯台の建設が進み、「ダークシー」とバカにされていた日本の海に明かりが灯っていったのである。

99段の螺旋階段を登って

 灯台内の螺旋階段を無心に登っていくと(キーウエストの灯台を登った時を思い出した)、展望台へと出た。この時はまさに夏空。北には君ヶ浜とその先に銚子ポートタワーや鹿島臨海工業地帯があり、西には林立する風量発電所が見え、南には長崎海水浴場が眼下に広がり、東の太平洋は水平線が丸く見えるほど広大だった。

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左)北には君ヶ浜 右)南には長崎海水浴場 が眼下に広がっていた。
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左)西には風量発電所 右)東には太平洋

地球が丸く見える場所

 犬吠崎灯台から東洋のドーバーと称される屏風ヶ浦まで、西へ西へ進む。道中、犬吠駅を通過した。ちょうど、地元の学生たちの下校時間だったのか、この辺りを歩く彼らをちらほら見かけた。単線の線路を渡る少年少女は、「スタンドバイミー」の1シーンのようで眩しかった。もっとマイナーな映画で例えるのならば、「ワイルド・エンジェル」の1カットのようだった。もっとも、「ワイルド・エンジェル」の若者たちであったら、線路をバイクで横断しているはずだが。

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犬吠駅

 犬吠駅を越えていくと、上り坂に差し掛かった。この坂の先は、銚子市で最も標高の高い場所となる(標高90m)。その丘の上には「地球の丸く見える丘展望館」が建っており、僕はそこに入ってみた。

 展望台からは360度を見渡せ、確かに水平線が曲がって見え、地球が丸いことを実感させられた。東には先ほどまでいた犬吠先灯台があり、その横には君ヶ浜が広がっている。

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左)君ヶ浜駅が見えるだろうか? 右)犬吠先灯台が目線の下にある

 君ヶ浜からさらに左へ目を転じると、遥か彼方に鹿島臨海工業地帯が発見できる。曇り空にも関わらず、雲とは異なる煙がモクモクと空へ伸びているのが確認できた。

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鹿島臨海工業地帯

 さらに目を左に転じると、利根川に架かる銚子大橋が確認できた。展望台の辺りは田畑が広がる田園地帯だが、銚子の方はなかなか栄えているらしい。建物が連なっている。

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利根川

 西を見ると、東洋のドーバーと称される屏風ヶ浦が確認できた。また、この辺りは高い山などがないからか風が強いようで、風力発電所が林立していた。

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屏風ヶ浦

 南には洋上に建設された風力発電所がぽつんと立っていた。これは日本で初めてできた沖合の風力発電所だそうだ。銚子沖はうねりが大きく、にごりで視界が悪い為、この発電所の整地と基礎の設置は困難を極めたそう。だが、2012年に風車の組み立てを完了し、晴れて、日本初の沖合風力発電所が設置された。

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洋上の風力発電所

屏風ヶ浦 ー東洋のドーバーー

 銚子で一番高いところからひたすら下っていくにつれて、空を雲が覆うようになってきた。砂浜に出た頃には、沖の方では雨が降っているようだった。しかし、それでも屏風ヶ浦は美しく、銚子マリーナから伸びる10kmの崖は海の浸食でできたようだ。高さは低くて20m、高くて60mほどになる。

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屏風ヶ浦

 崖の下は遊歩道になっており、地元のおじいさんとすれ違ったりした。また、地元の男女がサーフィンをしていた。崖には思いのほか草草が繁っており、虫が飛んでいたり、あるいはその虫を食べに鳥が歩いていたりしていた。

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このように波や風雨が崖を削ってきた

 屏風ヶ浦から銚子駅へと戻る道すがら、田園風景が続いた。目立った建物は風力発電所とスズキモーターズの整備場くらいであり、歩いている人間など僕一人だけだった。しかし、屏風ヶ浦を下りきり、国道の近くに出ると住宅がちらほら見え始め、いつの間にか道路の両脇が建物だらけになった。前には地元の学生が歩道を歩き、道端では店が軒先を開けて客の訪問を待っている。道路は乗用車だけではなく、バスも通るようになった。

 そんな時、雨が降る音が背後で聞こえた。沖で降っていた雨が来たかと思い、折り畳み傘を差すが、傘に雨が落ちる音が全くしなかった。不思議に思い傘を閉じてみたが、僕は全く濡れていない。しかしながら僕の背後で雨が降りしきる音が聞こえる。

 僕が振り返ってみると不思議な光景が広がっていた。僕のいる道路はまだ濡れていないが、少し後ろの道路はびしょ濡れなのだ。僕は全く雨に濡れていないが、後ろを歩いている学生は服がびしょびしょなのだ。つまり、僕の真後ろまで雨が降っており、その雨はまだ僕のところまで届いていないようなのだ。雨の切れ目に遭遇した僕であったが、時間が経てばその雨は僕のところまで来るのは明らかだった。僕は走って銚子駅に向かった。案の定、銚子駅前の踏切で、僕は雨に降られた。

 この日は実に多くの時間を徒歩に費やした。帰りは銚子電鉄に乗らずに歩いて帰ってきたのだから。家に着いてiPhoneの歩数計を見たら25,685歩。19km歩いていた。
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 次回の旅行記はこちら。

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